子供は、父親からの承認を求めている——そんな話を、本で読んだことがあります。
有名な例として、ガンジーの息子のエピソードがあります。ガンジーは息子にも、私欲を捨てたストイックな生き方を求めました。ガンジーの息子は、父に認められたいという思いを抱えながらも、その理想についていくことができず、次第に道を踏み外していったと言われています。父・ガンジーの死からわずか数か月後、息子もまた、ひとりで最期を迎えたと伝えられています。
父親に認められたいという思いは、とても深く、人の生き方に影響を与えるものなのかもしれません。
そうかもしれないけど、僕は、父との関係について文章を書き、小さな出来事をひとつひとつ思い出していくうちに、「父親からの承認」は、必ずしも大きな成功や特別な出来事によってしか得られないものではない、と思うようになりました。
ガソリンスタンドでの出来事
子供の頃の僕は、正直、あまり格好の良い子供ではありませんでした。お腹の少し出た、中年のおじさんのような地味な体型で、父のようにダンディにはなれない自分に、ちょっとしたコンプレックスを持っていました。
あるとき、父の車に乗って、知り合いが経営するガソリンスタンドに立ち寄ったことがありました。満タンになるまでの間、父はその人と世間話をしていました。すると、その人がふと僕の顔を見て「息子?」と聞いてきたのです。父は「うん、次男」と短く答えました。相手が僕に向かって「父ちゃんの小さい頃に似ているねぇ」と続けると、父は、なぜか嬉しそうに笑っていました。
当時の僕には、なぜ父が嬉しそうにしたのか、よくわかりませんでした。ただ、嫌な気はしませんでした。
今振り返ると、あれは、父なりの「承認」だったのではないかと思います。「こんな僕でも、父ちゃんにとっては、人にちょっと自慢したい息子だったのかもしれない」——そう思えるようになったのは、父のことを振り返りながら文章を書くようになってからのことです。
特別な出来事の中にあるとは限らない
こうして振り返ってみると、承認というのは、社会的な成功のような大きな出来事を通してだけ与えられるものではないのかもしれません。「自分の息子だ」と人に紹介し、嬉しそうにする。そんな何気ない一瞬の中にも、承認は静かに存在しています。
もしそうだとすれば、父親からの承認は、多くの人が思っているほど、ハードルが高いものではないのかもしれません。むしろ、日常のささやかな場面の中で、すでに承認のサインは出されていて、僕たちがそれに気づいていないだけ、ということもあるのではないでしょうか。
ちょっとした出来事を思い出してみる
もし今「父親から認められた記憶なんてない」と感じている方がいたら、大きな出来事だけでなく、日常の小さな場面にも目を向けてみてください。何気ない一言、ふとした表情、誰かに自分を紹介するときの様子——そうした小さな瞬間の中に、父親からの承認のメッセージが隠れていることがあります。
まずは、父と一緒にいて「なぜか嫌な気はしなかった場面」を一つ思い出し、一行書いてみてください。18の質問の中にも、11番「一人前として扱われた瞬間」や12番「心に残る言葉」を振り返る問いがあります。こうした問いに沿って記憶をたどっていくと、当時は気づかなかった、父からの小さな承認のサインが見つかるかもしれません。
一人では見落としやすい
ただ、こうした小さなサインほど、一人ではなかなか見つけられないものです。「認められなかった」という思いが強いほど、記憶はそちらの出来事ばかりを思い出させてしまうからです。僕自身、ガソリンスタンドでの父の笑顔を「承認」だと受け取れたのは、何十年も経って、文章を書き始めてからでした。
誰かに「その時、お父さんはどんな顔をしていましたか?」「人にあなたを紹介するとき、何と言っていましたか?」と聞かれて、初めて思い出す場面もあります。
一人で振り返るのが難しいと感じたら、お電話で一緒にお話ししながら、父からの小さなサインを探していきましょう。18の質問に加えて、お話の流れに合わせた問いも使いながら、記憶をたどるお手伝いをします。
「父に認められた記憶が思い出せない」——そのひと言だけで構いません。ココナラのメッセージから、気軽に声をかけてください。
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