第2回:伊藤先生は「同じイメージ」を求めて言葉を選んでいた?!

基本英文700選を覚える

今回のブログでも、伊藤和夫先生がどんな思いで700選の英文・日本語文を選んだのかを、僕なりに想像しながら書いています。史実として確認できていない部分も多く含まれるため、基本英文700選を覚えるための読み物としてお楽しみください。

前回のブログでは、伊藤先生が英語で日記をつけながら、700選の英文を組み立てていったのではないか、という話をしました。今回は、その日記の中で伊藤先生がどれだけ日本語訳、そして英単語そのものにこだわっていたか、という話をしたいと思います。

きっかけは、次の一文でした。

437. 私たちは梅の花で有名な水戸公園を見に行った。
We visited Mito Park, which is famous for its plum blossoms.

「見に行った」を visit と英訳しているところに、僕は違和感を持ちました。普通、visit は「訪れる」「訪問する」と日本語に訳されます。「訪れる」と「見に行く」では、ずいぶんニュアンスが違う気がしたのです。

気になったので、英英辞典(COD=Concise Oxford Dictionary)で visit を調べてみました。すると、こう定義されていました。

go to see and spend time in (a place) as a tourist or guest
「(ある場所を)見るために行き、時間を過ごす」

この定義を読んで、はっとしました。「訪れる」という素っ気ない日本語よりも、「見に行った」という日本語の方が、実は visit という単語が本来持っているニュアンスに、ずっと近いと思ったのです。

伊藤先生は、visit を「訪れる」という辞書的な一対一対応で機械的に訳したのではなく、英英辞典の定義まで踏み込んで、その単語が本来持っている意味を汲み取った上で、「見に行った」という日本語を選んでいたのではないか。そう考えると、もしかしたら伊藤先生の頭の中には「私たちは梅の花で有名な水戸公園を見に行った」との日本語が浮かんだのではなく、伊藤先生が意中の人と「梅の花で有名な水戸公園に行き、その中を見物して、時間を過ごした」ことが浮かび、そのイメージを表現する最適な動詞として visit を使い、700選に採用された英文になったのかもしれないと想像してしまいました。

COD をアルファベット順にめくってみる

自分なりに気づいたことが面白くて、僕はCODで「visit(=go to see)する場所」を、アルファベット順に探してみようと思いました。

aquarium(水族館)は、こう定義されています。

a building where people can go to see fish and other water creatures.

なるほど、魚を見に行く場所か、と納得しながら読み進めていくと、B の項目で、思わず笑ってしまう定義に出会いました。

【brothel】
a house where men visit prostitutes.

え、ここでも【visit = go to see and spend time in (a place) as a tourist or guest】が使われるのか、と辞書相手に思わずツッコミを入れてしまいました。

でもよく考えてみると、aquarium も brothel も、辞書の定義の作り方としては一貫しています。「見に行ってその場所で時間を過ごす」という visit の本質的な意味が、どんな場所の説明にも淡々と適用されているのです。辞書というのは、こんなに律儀にできているのかと、妙なところで感心してしまいました。

単語一つとっても、伊藤先生はきっとこうやって英英辞典を片手に、日本語と英語の間にある微妙なずれを、一つ一つ埋めていったのだろうと思います。

hill と mountain のあいだ

単語へのこだわりは、他にもあります。

268. この手紙を書き終えたら、あの山の2マイルほど先の湖水にご案内しましょう。
When I have finished writing the letter, I will take you to the lake about two miles beyond the hill.

「山」を hill と訳しているのも、最初は少し意外な感じがしました。調べてみると、英語では山の高さによって mountain と hill を使い分ける感覚があるらしく、目安として300メートル前後がその境目になることが多いようです。伊藤先生は「山」という日本語を機械的に mountain に当てはめるのではなく、「2マイル先に見える、それほど高くない山」という文脈の規模感まで考えた上で、hill を選んでいたのではないかと思います。

「一芸」は skill でも talent でもなく

もう一つ、単語選びに伊藤先生らしさを感じた例です。

162. 人は何か一芸を身に付けることが望ましい。
It is advisable for a person to acquire an accomplishment.

「一芸」を、skill でも talent でもなく accomplishment と訳しているところです。accomplishment には、単なる技能というより「身につけた、たしなみ・芸事」というニュアンスがあります。日本語の「一芸」が持つ、少し誇らしげで、その人らしさを表すような響きを、伊藤先生はきちんと汲み取った上で、この単語を選んでいたのだと思います。

単語を超えて、構造ごと組み替える

ここまでは、単語レベルのこだわりでした。でも700選を読み進めていくと、伊藤先生のこだわりは、単語だけにとどまらないことに気づきます。時には、英語の文法構造そのものを、日本語として自然な別の形に組み替えていることがあるのです。

例えばこの一文。

463. 食物が身体の栄養となるように、読書は精神の栄養となる。
Reading is to the mind what food is to the body.

英語の “A is to B what C is to D” は、本来「AとBの関係は、CとDの関係に等しい」という、あくまで抽象的な関係を述べる構文です。でも伊藤先生の訳は、単に「関係」とは言わず「栄養となる」という具体的な言葉を補っています。food と body の関係を「栄養を与える関係」だと自分の中で解釈した上で、その解釈ごと日本語に落とし込んでいるのです。

次の一文も、同じような組み替えが起きています。

306. 同じことが戦時中に起こったら、悲惨なことになるだろう。
The same thing, happening in wartime, would amount to disaster.

英文には if も when も一切なく、happening in wartime という分詞構文があるだけです。文法的には「戦時中に起こっている同じこと」という描写にも読めるはずですが、伊藤先生はこれを迷わず「起こったら」という仮定の条件として訳しています。助動詞 would(〜だろう)が使われていることから、条件を表現する分詞構文だと解釈した上で、日本語の「たら」を選んだのだろうと思います。

比喩表現でも、同じことが起きています。

444. 美しいということは、無視することがほとんど不可能な推薦状のようなものである。
Beauty is a letter of recommendation which it is almost impossible to ignore.

英語の “Beauty is a letter of recommendation” は、is による直接的な言い切りなので、修辞技法としては隠喩(メタファー)にあたります。ところが日本語訳は「〜のようなものである」と、明示的な比較のマーカーを使った直喩(シミリー)になっています。「推薦状」という具体的な対象をそのまま “美しさ=推薦状” と言い切ってしまうと、日本語の読者は一瞬奇妙な等号として受け取ってしまうかもしれません。伊藤先生は「ような」を挿入することで、これが比喩であることを、読者に対して先回りして示していたのだと思います。

もう一つ、少し長い文を見てみます。

393. ロンドンでみんなが気づくほど地震が感じられたのは、最近ではいつのことか、それを覚えている人は、今日では少ない。
Few people remember today the last time an earthquake was felt in London sufficiently strongly to be generally noticeable.

英文には sufficiently strongly(十分に強く)と generally noticeable(多くの人が気づく)という、2つの異なる副詞的要素があります。これを律儀に訳すなら「十分に強く、多くの人に気づかれる程度に」のような、硬い日本語になりそうなところです。でも伊藤先生は、この2つをまとめて「みんなが気づくほど」という、自然な日本語表現に集約しています。単語単位で置き換えるのではなく、「結局それはどういう状態か」という一つの情景として、まとめ直しているのです。

日本語では省略できても、英語では省略できないもの

最後に、主語や目的語の省略について、いくつかの例文を取り上げたいと思います。

よく言われているように、日本語では主語や目的語を言わなくても分かる状況であれば、省略する傾向がありますが、英語では、省略しないのが原則です。次の3つの文例では、英文にするとき、何を主語にするのか、あるいは何を目的語にするのかを考えてもらうために、あえて日本語文から意図的に主語や目的語が省略されているのだと思います。

160. 直径1メートル深さ2メートルの穴を掘るのに約2時間半かかりました。
It took me about two hours and a half to dig a hole one meter in diameter and two meters in depth.

161. テレビを修理させたら10,000円かかった。
It cost me ten thousand yen to have my television set repaired.

163. この調査書式にご記入頂きまして、誠にありがとうございます。
It is very kind of you to fill out this survey form.

日本語では「(私が)約2時間半かかりました」「(私は)1万円出費した」「(あなたが)ご記入頂きまして」というように、主語を言わなくても文が成立します。でも英語では、It took me、It cost me、It is very kind of you と、必ず主語(この場合は形式主語の It と、動作や恩恵を受ける人を表す me / you)が姿を現します。日本語の感覚のまま英作文をすると、この「誰が」「誰にとって」の部分が抜け落ちてしまいがちです。伊藤先生は、まさにこの日英の落とし穴を意識して、あえて主語や目的語を省いた日本語文を選び、読者に「英語にするとき、何を主語・目的語に立てるか」を考えさせようとしたのではないかと思います。

大切だったのは「同じイメージ」が浮かぶかどうか

ここまで見てきた英文を読んでいると、伊藤先生には、日本語から英語へ、あるいは英語から日本語へと、文字通り一対一に訳そうというこだわりはなかったように思います。品詞が変わってもいい、隠喩が直喩になってもいい、構造が組み替わってもいい。伊藤先生が譲らなかったのは、ただ一点、英文を読んだ人の頭に浮かぶイメージと、日本語を読んだ人の頭に浮かぶイメージが、同じものになるかどうか、だったのではないかと思います。

単に言葉を別の言語に置き換えるというよりも、読者の頭の中に同じ映像を結ばせるための、伊藤先生なりの工夫だったのだと思います。

基本英文700選が「不自然な英語だ」と批判されることがあります。でも伊藤先生が本当にこだわっていたのは、読者が、日本語と英語を読んだとき、頭に同じイメージを浮かべてもらいたかったのなら、多少不自然に響く日本語や英語表現が生まれてしまったのは、その厳密さの、いわば副産物だったのかもしれません。

次回は、この「イメージを合わせる」という視点を持ちながら、700選をどうやって覚えていくか、具体的な方法についてお話ししたいと思います。


P.S. 日本語から英語を思い出しましょう

今回出てきた英文を、日本語から思い出せるでしょうか?
日本語を見て、英文を思い出してみてください。

  1. 私たちは梅の花で有名な水戸公園を見に行った。
  2. この手紙を書き終えたら、あの山の2マイルほど先の湖水にご案内しましょう。
  3. 人は何か一芸を身に付けることが望ましい。
  4. 食物が身体の栄養となるように、読書は精神の栄養となる。
  5. 同じことが戦時中に起こったら、悲惨なことになるだろう。
  6. 美しいということは、無視することがほとんど不可能な推薦状のようなものである。
  7. ロンドンでみんなが気づくほど地震が感じられたのは、最近ではいつのことか、それを覚えている人は、今日では少ない。
  8. 直径1メートル深さ2メートルの穴を掘るのに約2時間半かかりました。
  9. テレビを修理させたら10,000円かかった。
  10. この調査書式にご記入頂きまして、誠にありがとうございます。

思い出せなかった文は、本文に戻って確認してみてください。

日本語文と英文は、「新・基本英文700選」を参照しました。単語の定義は Concise Oxford Dictionary(COD)を参照しました。もし「新・基本英文700選」がお手元になければ、ぜひ手に入れてください。そして、伊藤先生がどのような想いを込めて、一つ一つの単語や表現を選んだかを想像されると、記憶に残りやすくなると思います。

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