ハイサイ! 前回までは、「旧暦」や「ご先祖様」といった沖縄の文化についてお話ししてきました。
今回は、そんな独特な文化の中で育った「ウチナーンチュ(沖縄の人間)」についてお話ししたいと思います。
本土の方から「沖縄の人は直感を優先する」と言われることがあります。そして、ときには「沖縄の人は、論理的な説明が苦手だね」 なんて言われることもあります。
今日は、僕が考える「沖縄の人の感覚(センス)」について、少し掘り下げてみたいと思います。
「感覚的」は能力の欠如ではない
まず、誤解を解いておきたいことがあります。 「感覚的な人」という言葉は、ときに「理屈に弱い」「説明が下手」という意味で使われがちです。
しかし、沖縄で言う「感覚的」とは、能力が劣っているのではなく、「情報処理の順番が違う」だけなのだろうと思います。
- 本土(ヤマト): 理解 → 納得 → 行動
- 沖縄(ウチナーンチュ): 感じる → 様子を見る → 行動
沖縄の人が全員「感じる ⇒ 様子見 ⇒ 行動」のパターンを取るわけではありませんが、多くの人がこのパターンに沿って行動するのは、沖縄という環境に適応した結果、そうなったと思います。
理由①:常に海風を感じる環境で育ったから
沖縄は四方を海に囲まれています。常に潮風が吹き抜ける環境の中にあります。
長い歴史の中で、漁や航海、農耕を行なうとき、「風の匂い」「潮の流れ」「雲の形」など、自然の変化に敏感になることが求められてきました。
だからこそ「時計の数字」より「身体で感じるサイン」を優先する習慣が根付いたと思われます。
「今の風の感じなら、大丈夫だろう」「潮の匂いが変わった。早めに帰ろう」そんな直感が、昔から命を守り、生活を支えてきたのだろうと思います。
このような判断は、数値というより「身体感覚」に依存しているものでしょう。 その結果、沖縄の人たちの間では「説明できなくても分かる」という、感覚が育っていったのだと思います。
理由②:見えない「祖先」を常に意識しているから
沖縄では、祖先は「過去の人」ではありません。 すぐ隣にいて、私たちを見守っている「家の一員」です。
- 仏壇(トートーメー)で日常的に拝む
- 門中(ムンチュウ)の構成員として一族の絆を大切にする
- 時にはユタを通じて祖先の声を聞く
目に見えない存在を常に想定して生きると、どうなるでしょうか?
自然と「察する力」が磨かれていきます。これこそが、沖縄の「感覚的」なコミュニケーションの源泉なのだろうと思います。
理由③:白黒つけない「調和の知恵」
沖縄の人の会話では、すべてを言語化しない、結論を急がない、白黒をはっきりさせない、ということがよくあります。
沖縄の人の「だからよ?」「なんでかね?」のような発言を聞くと、「曖昧だなぁ」とか「優柔不断?」と感じるかもしれません。でもこれは、決して弱さではなく、
人間関係を壊さないための知恵
なのです。
論理を優先させることで「勝ち負け」や「正誤」がはっきりしますが、時に人間関係にヒビが入ってしまいます。感覚を優先させることで「調和」や「余白」が残ると思います。
狭い島社会で、親戚付き合いを何よりも大切にして生きていくためには、この「感覚的な余白」が必要不可欠だったのです。
理由④:台風が鍛えた直感
そして最後に、厳しい自然環境です。 沖縄は毎年、予測不能な台風に見舞われます。
- 台風は天気予報通りには来ない
- 海は一瞬で表情を変える
こうした「マニュアルが通用しない環境」では、計画通りに進めることよりも「直感的に修正する能力」が生き残りの鍵になります。
「なんとなく嫌な感じがするから、今日は漁をやめよう」 など「理屈を超えた身体感覚」が、実際に沖縄の人たちの命を守ってきました。
「感覚」を取り戻す旅に出ませんか?
沖縄の人が感覚的なのは、未熟だからではありません。 環境に最適化した結果なのです。
合理化や数値化が進む現代社会、AIが発達すればするほど、逆に人間本来の「説明できないけど分かる」という能力の価値は高まっていくのではないでしょうか。
沖縄の「感覚的な人」は、過去の遺物ではありません。 もしかすると、未来に適応した人間像のひとつかもしれません。
もし、あなたが日々の論理的な仕事に疲れていたら。 ぜひ沖縄に来て、頭のスイッチをオフにして「身体のスイッチ」をオンにしてみてください。「身体的感覚」や「直感」を取り戻す旅に出ませんか?
沖縄の感覚を体感したいなら、僕の実家近くの老舗「沖縄ツーリスト」はどうでしょうか?


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